星☆綴り

占星術とアロマやハーブが好きなchieが日々で感じたことを綴ります。

乳がんと仕事

最近、仕事が変わりました。

会社は変われど、

長くやってきたことからの方向転換。

 

3年程前に病気になった。

 

その頃は仕事が凄く忙しくて、充実してて。

でも自分の中で、小さな違和感も感じていた。

毎日、体がキツかった。

このままずっとこういう状況で出来るのかと。

そんな時、胸のしこりを発見した。

ちょうど会社の健康診断で診て貰う機会があり、

すぐに精密検査、生検。

 

 

 

乳がんだった。

それからすぐに仕事は休職させて貰い、

全摘手術と抗がん剤治療が始まった。

ただただ、体に向き合うだけの7ヶ月を過ごした。

 

 

 

考えていた以上の、

手足の痺れや痛みといった後遺症が残った。

杖がないと歩けない位だった。

体力も自分では自覚がなかったが、激減していた。

 

でもまあ、時間が過ぎれば治るでしょうと思って、

経済的なことも焦りも出てきて、

早く仕事に復帰したい気持ちが沸いた。

3月いっぱいまで治療して、6月に復帰した。

 

手足の痛みや痺れは、杖はいらない程にはなったが、

そこから治りが進まない。

最初の2ヶ月程は、ゆったりできたが、

やっぱりそうもいってられない。

営業だし、仕事はとってこないといけない。

取ってきたら忙しい日々にまた舞い戻った。

遅くまで残業の毎日。

建築業なので、現場管理も仕事の一つ。

現場が私の体に試練を与えた。

 

ウイッグの上からヘルメットをかぶり、

リンパ節を取っているし、軽く浮腫もあるから

左腕は使えない。

でも、時として重いものを動かしたり運ぶこともある。

冬になり、冷えは手足の痺れや関節の痛みを増長させる。

動かない。

足場に上っても、手足の痺れがあるからフワフワする。

怖い。

手摺を握っても筋力が落ちてるから、

いざという時体を支えられるか。

 

そして、体力がないので、常に疲れていた。

 

他人には、私は一見、普通にしか見えない。

現場の度に出来ないアピールなんて、出来ない。

癌の人って、他人から見ると、

分からないことが多いだろう。

 

9ヶ月やって、

後遺症は一向に治らない。

疲れて悪循環に陥っていた。

この仕事を続けるのは無理だと判断した。

 

退職した。

 

暫く、疲れ過ぎた体を戻し、失業手当で過ごして、

派遣で別の仕事を始めた矢先、

辞めてから7ヶ月後、元の会社から思わぬ形で

内勤パートの話の話を頂いた。

 

他に何かやる予定もなかったし、

また派遣会社や仕事場に病気のことを説明し、

癌というと衝撃が大きく、

出来ない烙印を押されるのも嫌だった。

その点、元いた会社なら、全てわかっているし、

周りも知っているし、やり易い環境。

内勤で、外へ行かなくて済むなら、

前に力不足を感じた仕事はない。

パートという以外、問題はなかった。

期限付きだし、1年やってみるかと。

 

1年近く経ち、体力的には問題なく出来た。

ただパートということで、時間制限があり、

仕事に物足りなさはあった。

でも、大きな問題は経済的なことだった。

1年以上は収入面で続けていくのは難しかった。

今度こそ完全に辞めるときかと思ったが、

思いがけなく、内勤で正社員の話を頂いた。

仕事量は倍になるが、内勤ならなんとかなると思い、

有り難く受けさせて貰うことにした。

 

若い頃であれば、

つまらないと思っただろう仕事だけど、

今では180度変わって、

生活と両立出来る仕事こそ、貴重だと思う。

縁の下の力持ち的役割だ。

 

忙しいが、体の負担はそんなに感じない。

手足の痺れや痛みは、もう相変わらずそのままあるが、

パソコン仕事なら、打つのは遅いけど、出来る。

そして今まで培った知識を役立てられる。

 

仕事内容は昔から思えばガラリと変わり、

華やかさもなくなったが、全く後悔はなく、

同僚をみても羨ましさも感じない。

私にはこれで良かった、

有難いと心から思える仕事に出会えて良かった。

 

またライフワークとしてやりたいことが、他に出来た。

そこにも力を注げる体力があるのが嬉しい。

病気から復帰後は、とても無理だった。

仕事一辺倒ではない、自分の時間。

家族との時間。

若い時とは違う時間の使い方をしていきたい。

 

勿論、体の負担を減らして、

再発なく過ごしていけるのが一番だ。